治療の職人集団 練馬区鍼灸師会
練馬区鍼灸師会は東洋医学である鍼灸(はり・きゅう)、マッサージの国家資格保持者の団体です。副作用のない東洋医学は、自然の力を利用した体にやさしい療法です。 |
お 知 ら せ
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お知らせ11 第二次石巻鍼灸医療ボランティア紀行
練馬区鍼灸師会からは岩川仁士先生、鳥海春樹先生、柳沢ゆかり先生、藤井伸康先生の4名、新宿区から海老根妙子先生、江戸川区から新井修先生、小澤富士男先生が参加されました。
今回は、前回のように夜勤明けの疲れ果てた看護師さんたちではありませんでしたが、気仙沼の本吉病院の看護師さんが我々の宿泊している涌谷(石巻北部の温泉地帯)に研修がてら立ち寄られて施術しました。 前回は、鍼灸のみの施術ルームが提供されましたが今回は、はじめて参加する岩川先生、柳沢先生がびっくりしたように、我々の隣の部屋が指ヨガ、その隣がネイルサロンと、心の安らぎを演出するようなグループのひとつに組み入れられた感じでした。 どんな形にせよ、疲れた被災者のお役に立てたことはうれしいと思います。 そして、鍼灸は初体験の方が非常に多いようでした。 しかし、ボランティアの鉄則で、こちらから当時の状況やその後の近況などの質問は、嫌な事を思い出してしまったらかわいそうなので控えました。 初日の夜は、東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)専従コーディネータ・国境なき医師団派遣医の林健太郎医師と奥様、スタッフの方々と被災地の不定愁訴症候群に「鍼灸」を活かす方策について、夜中まで熱く語り合いました。 現在、鍼灸の効果・適応はコリや痛みなど筋肉の使いすぎによる「こわばり」を除去して楽にさせることが一般的な認識でありますが、被災後1年も経てば高血圧などの内科、自律神経失調症などの神経内科領域の病が増えており、鍼灸師が本来得意分野の病であることを地元の医療従事者や世界中を飛び廻っている林健太郎先生は着目されて、我々の鍼灸も医療診療ツールのひとつとおっしゃっていただきました。 そして、ひとつの提案が搾り出されました。 それについては、「会長所感」、江古田パレス鍼灸治療院のホームページにて詳細をご覧いただけます。 二日目は早朝からスタッフの車を借りて、いよいよ石巻市内と津波で大きな被害を受けた沿岸、港湾部へ出かけました。このあたりは元々鍼灸院が無いのか津波でやられてしまったのか、あまり目にしませんでした。高台の日和山(ひよりやま)公園の頂上に登り海側を見渡した瞬間に絶句しました。 遠くに見える石巻市立病院のようなコンクリートのビル以外すべての木造家屋は跡形も無くなっていました。そこにあったであろう瓦礫は旧北上川向こうの対岸に片付けられ、エジプト古王朝時代のピラミッドの如く積み上げられ、木材に混じる金属片が真昼の光に反射して異様な光を放っていました。 高台の日和山公園を車で海岸方向へ下るとそこは、かつてあの日の午後3時までは人々の営みのあったであろう場所でした。今は、荒涼とした世界が広がっていました。 当時、津波の力で大量の家屋と車が押し寄せられてガソリン、灯油に引火し黒焦げになってしまった門脇(かどのわき)小学校、ここは、昨年末NHK紅白歌合戦で長淵剛がレクイエムを熱唱中継した場所。さらに沿岸に近づくと津波をまともに喰らい、基盤が沈下してしまった調剤薬局らしき跡や誰もいない石巻市立病院・・・ すべてに合掌してまいりました。 午後1時までには借りた車にガソリンを満タンにお返しして、再び看護師さんたちが研修を終わる時間に合わせて施術開始。二日目のこの日は畳の大部屋で安らぎの3グループが混然と一体になり初日よりたくさんの人たちを癒すことができました。 インフラ整備も何年先になるのかわかりませんし、亡くなった人は戻りません。でも、せめて今、元気で生きている人に必要なのは、仕事であり、自分の家です。このように生きていく上に基本的なものがありません。彼らの明日への希望の灯りが消えないように我々は、現地の医療従事者と協力し、慢性期の心の病に、なるべく経口薬剤を減量または中止できるように鍼灸治療のバトンリレーを絶やさぬよう今後も在京の元気な者で繋げていきます。
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