治療の職人集団 練馬区鍼灸師会

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練馬区鍼灸師会は東洋医学である鍼灸(はり・きゅう)、マッサージの国家資格保持者の団体です。副作用のない東洋医学は、自然の力を利用した体にやさしい療法です。

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お知らせ7

<東日本大震災 ボランティア活動を行っています


練馬区鍼灸師会のボランティア活動に参加     練馬区鍼灸師会会員 川本直子

 

4月の介護・5月の炊き出しとケアマネの活動に続き練馬区鍼灸師会:藤井会長からのお声掛けで『災害鍼灸マッサージプロジェクト』の一員・鍼灸師として参加させて頂きました。 
 

 7/287/30 壊滅地帯と呼ばれる南三陸町。果てしなく広がる瓦礫の荒野。何もかもを根こそぎ奪った津波の痕跡は、何度訪れても表現しようのない強烈な心痛さで息が出来なくなる光景です。 
 

 がんばれ!希望!めざせ復興!など前向きなスローガンが掲げられ、瓦礫撤去は着々と進み、自衛隊も撤退するまでに至りました。それは確かな前進で素晴らしいことです。でも、人々の心もそれと同じに前へ前へと…? 
そんなに簡単であるはずがありません。生まれ育った故郷の景色・愛する人・目指す未来・大切に積み重ねてきた思い出…全てを失った方々の悲痛と喪失感は現在も進行中でした。…というか、行き場なく、真っ暗闇の中で停止している状況でした。 
 

 東京から車でたったの6時間走った先に、今もあの景色・あの人達がいる。忘れてはいけない!!! これがまず1番に伝えたいことです。
 

南三陸での活動は、『災害鍼灸マッサージプロジェクト』の震災直後からの勇敢な努力の功績により私はすでに開拓され、整えられた環境で安心して施術を行うことができました。 
  

 日時や場所・備品・避難所毎のカルテ・治療場所への地図など、災害鍼灸マッサージプロジェクト:小河原先生からメールや電話で適切な指示を受けながら、何の疑いも不自由も感じることなく活動することができました。 
  

 施術を待つ患者さんはリピーターの方が多く、主訴は首・肩・腰・膝の痛みに加え、ほとんどの方が「よく眠れない」と訴えていました。
 

そんな中でも「鍼灸は初めてだけど、この間受けて本当に楽になった」「身体を触ってもらいたかった」「今度はいつ来てくれる?」「継続してこの治療を受けたい」など、これまでの活動がこのような嬉しい感想を頂ける結果に結びついていることに、とても感動しました。 
  

 施術中には恐ろしかった体験・今の切なすぎる思いも少しずつ口に出して頂けました。心のケアにあたるという臨床心理士は、傾聴を中心としたカウンセリングを行い、身体に触れることは出来ません。鍼灸・マッサージでは患者さんが横になり、リラックスした状態で治療を受けながら、心も身体も解き放つうちに溜まっているストレスを自らの言葉で表すことができます。これぞ鍼灸・マッサージ治療の醍醐味だと思いました。
 

 想像を絶する経験やお気持ちを聞いたところで私には助言も励ましもできず、全く掛ける言葉が見つかりませんでしたが、おそらくそこに重点を置く必要はなく、患者さんが自分の気持ちを言葉にして、今回の被災を受容するための一歩として、鍼灸治療の空間がとても大きな役割をもつことに気づきました。私は治療家としてはまだまだ経験が浅く、情けなく、恥ずかしく、治療行為そのものに自信がありません。ただ、聞かせて下さるお話をゆっくりと傾聴し、その方が失った大切な命・助けられなかった命のご冥福を共に祈り、一瞬でも心地良さを感じて頂ければと…
 

ただそれだけ、願いを込めて手を動かしました。 
 

 ボランティア・支援の形は様々です。行ける人が行き、行けない人が後方支援をすれば良いのです。各自が日々の生活を継続しつつ、震災を忘れずに、被災地を想像し、出来る事を続ければ良いと思います。ただ、行く人がその持っている能力を存分に発揮して活動に専念するためには、やはり組織的なバックアップが必要です。被災地での鍼灸治療のニーズは明らかです。今後、鍼灸師会が一丸となって復興支援体制を強化して下さればこれほど心強いことはありません。 
 

 「共に生きる」これが今回の震災から私たちが学び取れる唯一だと思います。震災は私たちの、この国で起きたことです。同じ故郷をもつ大切な仲間・家族のために、今出来る事を一緒に考え行動していきたいです。復興への道のりは長く、被災者の方々が笑顔と健康を取り戻すには、まだまだ長い時間を要します。今後も治療技術の研鑽に努めながら、鍼灸治療の可能性を広げ、チーム力を強められるように、可能な限り足を運び、参加していきたいと思っています。 
 

 最後に、練馬区鍼灸師会の先生方・災害鍼灸マッサージプロジェクトの皆様には、今回の貴重な経験をさせて頂く機会を与えてくださったことに心から感謝します。ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。



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        「災害鍼灸マッサージ」 ボランティア活動に参加して

                       慶應大学院医学研究科・修士課程 (鍼灸師) 海老根妙子


東京都鍼灸師会・練馬支部の3名の先生方とともに「災害鍼灸マッサージプロジェクト」に登録し
7月29日から1泊2日、宮城県石巻市で共に活動しました。

石巻では「日本プライマリ・ケア連合学会 東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)」という団体が要介護者のための拠点(遊楽館・元は市民ホール)を維持しており、私たちは災害鍼灸マッサージプロジェクトからPCATに派遣された形で活動いたしました。主に、医療スタッフに一人20分、2日間で60人前後の鍼灸治療を担当しました。避難所のスタッフのケアは、長期滞在が難しい一般鍼灸師も参加しやすく、現地でも受け入れられやすい分野のため、活動を広げられたらいいなと感じました。 参加させて頂き有難うございました。



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練馬区鍼灸師会のボランティア活動         練馬区鍼灸師会会長 藤井伸康

練馬区鍼灸師会は、728,29,30日にかけて予定通り、石巻・南三陸の被災地に赴き、鍼灸分野で第一回目の活動をすることができました。
 

私は、鍼灸師という職業を通して現地の被災者の方々に接することができ、微力ながらお役に立たせてもらえることに感謝し、一期一会の同じ志しを持った同胞と出会えたことを幸せに思います。
 

一緒に行動を共にしていただいた芝田先生、鳥海先生、川本先生、海老根先生のお心にお礼申し上げます。
 

問題は、やる気があるのか無いのかわからない政治屋さんやら行政やら○○会やらにくっついていて口を開けていて指示待ちしていても埒があかないことです。
練馬区から鍼灸ボランティアの要請がなく、クサクサしていた中、調布市地元のボランティアの呼びかけにより、491017日の3日間調布味の素スタジアムにて福島から避難された被災者への医療ボランティアを行ってきました。

調布市の進んだ福祉のノウハウは今回の画期的なPCを駆使したボランティアシステムにも活かされ、 都内で一番恵まれた避難所として「味スタ」が機能しているのも、トップの人の行動力と地域住民の弱者救済に対する意識ありきと思われます。

練馬区はボランティア精神のある鍼灸師がたくさんいますが調布市のような行政の力がありません。
両者が一緒になったら最強です。またみんなの力を結集して今度は現地で直接、被災者の力になりたいという思いが目標になりました。

次のステップとして模索の結果、被災地に赴く際に日本プライマリ・ケア連合学会の医師団体との同行が実現しました。
行き先は宮城の被災地で同学会が支援の薄いところへ鍼灸師を振り分けて頂けます。

今回の現地活動場所は、南三陸町、石巻市で前者は被災者の施術(川本)、後者は被災した石巻市民病院、介護老人施設で従事していた医療従事者の施術(芝田・鳥海・海老根・藤井)でした。

主に、早朝から夜勤明けの疲れきった看護師、ヘルパーさんの施術で被災後のお話を伺うチャンスがありました。津波で多くの患者さんを亡くされたことやご自分のご家族も未だに行方不明の方がいらっしゃること。
それにもかかわらず、職務に従事している彼女たちの「仕事があるだけ幸せ」というお言葉に敬服しました。
そして施術後には、「ありがとうございました。先生も東京へ帰られたらどうぞ、お体に気をつけてがんばってください!」と、しかも笑顔で、ねぎらいのお言葉までいただきました。



私はここへ来れてほんとうによかったと思いました。
我々の施術とは、鍼灸テクニックのみで施すのでなく、時には傾聴も大事な要素として含まれているようです。
 
震災後5ヶ月が経ち、急性期を過ぎた慢性的な疲労症状の多い今となっては、外科手術や投薬という手段よりも鍼灸、マッサージなどの体表刺激を用いた慢性期の症状を得意とする東洋医療の必要性を、PCATの医師は理解して我々にお声をかけしてくれたのだろうと思います。

たった今、自分らをほんとうに必要にしている人たちに接し、そのマインドがシンクロできてはじめて実のある精神が生まれます。
その相性は、お互いを引き寄せ合う恋人同士にも似ているのかもしれません。
逢わずにはいられないし、やらずにはいられないのです。
プラトニックか行動ある恋愛かの違いです。
 
2011311日、大きな悲しみと唖然としか言いようのない絶望が日の本の国を覆った。
しかし、リアルタイムの報道に呼応するかのように全国から救援のマンパワーが集まった。
 
かつて、日本国中、食べるものが無く、自分のことが精一杯で他人のことなど救ってあげることなどできなかった侵略戦争からの敗戦の頃とは違い、今は無傷な民間から慈愛に満ちた救済の団結が沸き起こった。
 
この国は戦後の大躍進で世界第2位の経済大国まで登りつめたが今回の未曾有の大災害で、「自然」という神の前に脆くも片膝をついてしまった。
それならばと、今まで大切なものを置き去りにして歩んできたことを再考し反省した。
 
そして、三度目の被爆でやっと、ほんとうに大切なことに気付かされたこの国の民は、真っ先に利他を重んじ、誰もが手本にしたい、世界で一番すばらしい国民になる。
 
大きな試練こそ、あたたかい他への思いやりと真の成長を生み出すのでしょう。



震災後の復興には時間を要することは必至です。物的、心的な被災に対し継続的な支援が必要です。その中でも我々ができることとして、許せる限り、皆様の日頃の医術、医心を少しでも必要としている被災者のもとに分けて差し上げたいと思います。
会員の先生方におかれましては、これからも是非、ご協力のほど宜しくお願い申し上げます。




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        被災地ボランティアに行ってきました

練馬区鍼灸師会会員 桝永照也

ゴールデンウィークの4月29日から5月2日まで、金曜の透析の後に、友人とレンタカーで出発しました。友人は宮城県気仙沼出身で、火災もでて被害の大きかったところです。安否も兼ね、また実家では親戚一同集まって生活をして疲れているようだと聞いていましたので、「僕の出番だな」と、一緒に連れて行ってもらいました。というのも、東京の鍼灸師会で、福島の原発被災者の方々を、ボランティア施術した経験があったからです。

 私達が行った地区は、ガス・水道・電気などのライフラインはすでに回復しており、意外にも皆さん元気そうでした。そこで10人程、肩こり、腰痛、膝痛、骨折のリハなど施術しましたが、様々なリアルな話も聞くことができました。(家が、人が、流され、怖くてもう自宅には戻りたくない。あの時の判断で生き残れたなど。)

また、合間に近くの被災地に入ることができましたが、どこに行っても瓦礫の山で、同じような光景に見えます。こんなになるものなのかと、津波の凄まじさを、まざまざと見せつけられました。(これを復興できるのだろうか? )

幸い大きな余震に遭うことも無く、一ノ関から新幹線で帰ることができましたが、東北の皆さんの強さ・優しさも感じることができました。また折をみて、ボランティア施術を続けていきたいと思います。